魏志倭人伝の夢
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日本書紀を意外な角度から見る

 魏志倭人伝を読むのに、日本書紀・古事記(以下記紀と表記)を参考にしてよいのかは迷っている人が多いのではないでしょうか。確かに記紀は7世紀の芸術性や思想は反映されていることでしょうが、そこに3世紀の事実が反映されているかどうかは分かりません。

 例えば神武天皇は、九州を出発し奈良で初代天皇になったことになっています。これが事実だとすると、高千穂に住んでいた1人の男に何があったのか、突然日向へ行き宇佐へ行き遠回りしながら苦労しながら奈良に行ったことになります。突然九州の人間が一度も行ったことの無い奈良へ行き、それが初代天皇というのはやはり怪しいと思います。
 しかし神武天皇の話が嘘だとすると、なぜその様な嘘あるいは間違った伝承になったのでしょうか。太古の関西では九州の血筋がブランドだったのか、あるいは九州の人々と仲良くするために、「自分たちは同じ天照大神の子孫」だと説得する手段だったとか、これまた怪しい理屈はいくらでも出来ます。 

 極端な言い方をすれば記紀の云う太古は日本史上最大のジョークだった可能性もゼロではありません。
つまり事実と思っても、嘘と思っても何か怪しいのです。どちらも怪しいのだからほっとけばよいのですが、逆に怪しいからこそ気になるのが人というものです。

 そこで気になるこの記紀を現代ならではの角度で見てみることにします。
以下の表は日本書紀の第一巻から第二十九巻までのそれぞれのページ数と紀を一覧にしたものです。本来、日本書紀は持統天皇まで含まれるのですが、続日本記と重なってしまうので情報量の評価に公正を保つために天武天皇までを表にしています。
頁数   頁数
1・2 49+44=93 神代 上・下 16 7 武烈
3 23 神武 17 23 継体
4 16 綏靖 懿徳 孝昭 孝安 孝霊 孝元 開化 18 10 安閑 宣化
5 15 崇神 19 50 欽明
6 19 垂仁 20 16 敏達
7 30 景行 成務 21 14 用明 崇峻
8 7 仲哀 22 34 推古
9 24 神功 23 15 舒明
10 16 応神 24 23 皇極
11 28 仁徳 25 42 孝徳
12 11 履中 反正 26 18 斉明
13 20 允恭 安康 27 23 天智
14 35 雄略 28・29 20+57=77 天武 上・下
15 23 清寧 顕宗 仁顕      

 古代史ファンならもう何度も見たと思う歴代天皇の一覧です。これらの天皇が実在したと考える人とそうでない人がいると思いますが、ここでは嘘か本当かではなく、日本書紀の構成に迫ってみました。日本書紀の話しを物語として読むのではなく、それぞれに何ページ費やしたのかを見ていくということです。

 なぜその様に見るのかというと、情報量の大小に関わらず編纂者が力点を置いた(特に意識した)部分は説明も長くなり、当然文字数つまりページ数も増えていくからです。
上記の表を視覚的に分かりやすくグラフにしました。
 まずグラフにすると目を引くのが、1・2巻の神々の時代と28・29巻の天武天皇の時代は、他の天皇の時代より情報量として頭一つ飛び出していることが分かります。

1巻2巻 神代の世界・日本誕生
 1巻2巻の神代にこれほどの努力を費やした理由は、「なぜ日本が存在するのか」という疑問を日本書紀編纂時においても、現代にも続く同じ強い興味があったからだと思われます。
 天皇自身は自らが人間であり、その人間は必ず人間から生まれるという常識を持っていながらも、その起源は考え続け何らかの形にしたかったのだろうと思います。
 その根源論が「神々の世界」か「科学」かは時代の差であり、今も昔もその熱意は変わることは無かったのでしょう。

 私たち人間は、神のことをどれだけ知っているかというと、答えをほとんど(全て)知らないために、逆に事実に束縛されない自由な発想が、天皇家や日本民族そして日本列島の起源の想像力を増幅させたのが日本書紀と思われます。

 特に日本書紀は朝鮮や中国の誕生には触れることなく、日本の起源はあくまでも日本に内在し、それ以前を人ではなく神としたことは、当時の日本人の世相は反映されているようです。もう一度繰り返しますが、事実かどうかではなく懸命に書かれているということです。

28巻29巻 過去と今

 天武天皇の時代も(グラフ右端)大量の情報で記述されています。日本書紀は天武天皇の次の持統天皇までが書かれていますので、編纂時から見ると少し前の話ということになります。
 グラフを見るとよく分かるのですが、明らかに人間である天武天皇の時代の記述が、神の時代の記述に肉薄するほどの文字数を使用しています。これはどういうことかというと、天武天皇が過去ではなく、日本書紀編纂時の社会と因果関係が明白で今に近い時代であったこと、また記憶や記録がたくさん残っていたからです。

 ところが奇妙なことに、比較的近い過去なら情報量が多く、過去に遡ればそれに比例して徐々に情報量が少なくなるはずなのですが、グラフをみると最後の天武天皇の時代は他を大きく引き離し、それ以前は特に規則性が無いようにみえます。

 それはなぜでしょうか。理由は推測でよければいくらでも挙げることが出来ますが、存在する日本書紀のもう一つの事実と合わせて考えて見ましょう。
 日本書紀の各巻の情報量の分布と、そこに書かれた嘘か事実かなど関係なく日本書紀に記された歴代天皇の在位を比較してみます。

 これはどういうことかというと、在位が長ければ当然その天皇の情報量は増えますが、それは時間(期間)が長いという意味であって、一年あたりの情報の密度は決して増大しているとはいえないからです。
さっそく表で見てみましょう。【注意】在位は月単位で記載
頁数 在位(月)   頁数 在位(月)
1・2 49+44=93 神代 上・下 16 7 武烈 96
3 23 神武 898 17 23 継体 288
4 16 綏靖〜 開化 5687 18 10 安閑 宣化 84
5 15 崇神 793 19 50 欽明 376
6 19 垂仁 1194 20 16 敏達 160
7 30 景行 成務 1425 21 14 用明 崇峻 82
8 7 仲哀 97 22 34 推古 411
9 24 神功 828 23 15 舒明 153
10 16 応神 481 24 23 皇極 41
11 28 仁徳 1032 25 42 孝徳 112
12 11 履中 反正 109 26 18 斉明 78
13 20 允恭 安康 513 27 23 天智 125
14 35 雄略 273 28・29 20+57=77 天武 上・下 163
15 23 清寧 顕宗 仁顕 202      

 さて、それぞれの巻・ページ数・紀・在位を表にしてみましたが、このままの在位と頁数の比較では時間当たりの情報量を見ることはできません。そこで後は単純に在位期間をページ数で割りグラフにすれば良いのです。するとどの巻は1ページ毎に何ヶ月推移しているかわかります。さっそく各巻のページ数のグラフに情報の密度を追加してみました。
【注意】神武記は即位以前を含んでいないため、情報密度は低くなっています

 この表は情報の密度をグラフにしたものですが、情報の密度という表現で分かりにくい場合は、日本書紀を1ページめくると何ヶ月推移するのかに置き換えてくださってよいと思います。

 例えば最後の天武天皇の28・29巻は1ページで2ヶ月推移します。つまり28・29巻は1ページに2か月分の書くべきこと、あるいは書きたいことがあったということでしょう。

 それにたいし4巻の綏靖 懿徳 孝昭 孝安 孝霊 孝元 開化という7人の天皇の時代は、全員の在位の合計が898ヶ月に達し、それをわずか16ページだけで編纂したため1ページめくると355ヶ月つまり約30年の月日が経過したことがわかります。裏を返せば30年もかけて1ページ分のネタ(情報)しかないということです。

 このように、日本書紀が事実に基いているかどうかを論じる前に、漢文で書かれた日本書紀を各巻の本の厚み、巻子(巻物)なら太さで理解しておくこと、そして各巻は1ページで何年推移するのかといった情報の形状を理解し、全体像を知っておくことが重要だと思います。

 この様にグラフにしてみると一見無秩序な文字数で編纂された各巻も、過去に遡れば遡るほど情報が希薄になっていくことが手に取るようにわかり、それは常識どおりになっています。つまり一見ミステリアスに感じる日本書紀もこの様にして正体を現していくのです。
 このようにグラフを色分けすると、日本書紀編纂という大事業も人間か組織であるが故の癖というか特徴が浮かび上がってきます。そしてもう一つの事実と重ね合わせてみましょう。次はひょっとすると邪馬台国論争と関連つけている人もいるかもしれませんが、それが暦です。

 日本書紀はおかげで大量の暦を見ながら編纂されていて、十干と十二支とで逆算が可能なので、儀鳳と元嘉のどちらを使えばそれぞれの巻は矛盾が生じないのかを割り振ってしまえばよいのです。さすがにこの割り振りは個人の趣味程度では無理なので国立天文台の「七世紀の日本天文学」の資料を見ながらグラフに書き込んで見ましょう。
日本書紀の【情報密度の分布】と【暦の割り振り】でグラフ化しても、双方は13巻の允恭・安康記を境にして、編纂手段を大きく変えていることが分かります。
 一見謎めいた日本書紀ですが、現代人は日本書紀の編纂者すら想像を絶した科学力や情報分析能力があります。

上記で紹介した【情報密度の分布】などは、私のような素人でもある程度は日本書紀の正体に迫ることは出来ますし、更に国立天文台の資料を使い、【暦の割り振り】や日本で太古に観測可能だった天体現象が日本書紀に正しく反映されているか、そして今回の例で示したように、異なるアプローチから見た日本書紀が同じ結論に到達したのであれば、それはおおよそ正解と見なして良いと思います。

 私たち現代人は、無秩序に見える日本書紀の情報を正しく整理することが出来ます。大古の時代の日食も何年の何月何日の何時に見ることが出来たのか、そしてその日食は中国からの情報か、あるいは自分たちで見たのか、そして暦はどうだったのか。これらの全ては日本書紀の正体を知ろうとする現代人の手にしたコンピュータ文明のなせる業なのでしょう。

おそらく日本書紀を編纂した人々は1000年以上も未来になってまさか自分たちが書き残した文章が、太陽・月・惑星の軌道計算を横目で見ながら分析されるとは夢にも思っていなかったに違いありません。未来の科学は魔法と区別がつかないのです。

 ここまでは思いつく限り、現代人しか知ることの出来ない、そして見ることの出来ない日本書紀の正体に迫ってみました。日本書紀は天皇家の正当性を誇示するために書かれた文章で信用することが出来ないという人もいるでしょう。逆に政治色を色濃く残しながらも、きっとそこには何か事実に基いた歴史が隠されているかもしれないと考える人もいることでしょう。

しかし信じるか信じないかの前に現代人の獲得した知識を使い、日本書紀の編纂に携わった人々の心や編纂方法の正体に迫っておくことが重要ではないかと思っています。

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