魏志倭人伝の夢
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1、帯方郡から狗邪韓国

從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里始度一海千餘里至對馬國

 (帯方)郡から倭にいたるには、海岸に沿って水行し、韓国を経て南や東に進み、(倭の)北岸にある狗邪韓国に至る。
 (帯方郡から)七千余里にして、初めて海をわたり、千余里で対馬国にいたる。


 帯方郡(たいほうぐん)とは、もともと中国が朝鮮の地域を統治すために設置されたものでした。魏志倭人伝を読む場合、この帯方郡が倭へ行くための出発地点と考えればよいと思います。 魏志倭人伝に登場する倭国に訪れた人々は、帯方郡に勤めていた役人のことです。
 狗邪韓国(くやかんこく)は朝鮮半島の南東にあった国で、もっとも対馬海峡に近い国です。
 厳密に言いますと、帯方郡と狗邪韓国がどこであるのかは奥の深い話なのですが、帯方郡はソウル、狗邪韓国はプサンと馴染み易い地名に読みかえると覚えやすいと思います。
 つまり魏志倭人伝の伝える倭国への出発は、ソウルからプサンに向けて船で出発することから始まります。

●七千余里の信憑性
 帯方郡から狗邪韓国までが七千余里と書かれていますが、一体どれほどの距離なのでしょうか。私たち現代人は正確な地図を見ながら考える事ができます。しかし当時は距離を測る技術は無く、当然正確な地図の無い時代でした。お互いが見えている場所なら話は異なりますが、帯方郡と狗邪韓国の間の測距はまず不可能だったでしょう。
 では七千余里と書いた根拠は何かという事ですが、当時唯一できる事は移動にかけた時間が大雑把な距離の記述になっているのではないかと考えています。では大雑把だから距離は当てにならないのかというと、決してそうとも言えません。距離は時間と速度を掛けあわせたものなのですが、魏志倭人伝の時代はいかなる交通手段を選択しようとも、その速度差はさほど変わらないため、説明をする上で決して嘘ではない許容範囲の広い距離が記載されていると思います。

 ではなぜ七千余里かという事ですが、もうこれは推測するしかありませんが、例えば移動に7日かけたので7000里というような感じにになるのでしょうか。図で帯方郡から狗邪韓国までの航路をおおよそですが、赤い線で引いてみました。この赤い線の長さが7000余里ということになるのでしょう。青い線の狗邪韓国から対馬までは1000余里と記載されています。もちろん現代の正確な地図に太古の記録を当てはめたので、正確とはとてもいえないような気もしますが、測量技術の無い時代の記録としては許容範囲内に入っています。
 魏志倭人伝には国と国の間の距離が数箇所記述されています。したがって当時の1里が現代の距離でどれ程かと言う計算もできないわけではありませんが、おそらくどのような計算方法をとっても意味のない数字になるでしょう。むしろ距離を示したそれぞれの国の位置関係が近いのか遠いのかという全体で矛盾をきたさないように読む事が大切でしょう。

●帯方郡と倭を往復した船と人
 魏志倭人伝には、有名な邪馬台国論争があります。多くの人々が、邪馬台国はどこにあったのかと議論をするのですが、実は帯方郡から狗邪韓国までの行程ですでに大きく意見が分かれるのかもしれません。問題は帯方郡を出発した船がどのようなものであって、どのような人が乗っていた結果、魏志倭人伝が生まれたのかが、まったく分かっていないため、はじめから解釈が人によって異なってくるのです。
 そこで船と人の種類の可能性を3つのグループに分類してみました。
【グループA】
船の所有者は・・・
1、帯方郡を出発した船はチャーターされた船
2、チャーター船ではなく既存の航路を進む一般船に乗船し、乗り換えながら進んだ
3、魏志倭人伝は、チャーター船と一般船の情報が混在している
4、定義すべきではない
【グループB】
航海法は・・・
1、帆船である
2、手漕ぎ船である
3、基本的に帆船だが手漕ぎもした
4、基本的に手漕ぎ船だが帆もつけていた
5、定義すべきではない
【グループC】
倭の情報を大陸に伝えたのは・・・
1、交易商人
2、行政官、もしくは軍人等の公職にあった人
3、大陸に移民した倭人
4、大陸と倭人の中間の性質を持ったカテゴリーに属さない人々
5、大陸に献上された奴隷
6、定義すべきではない


 ちょっと意地悪な書き方になりましたが、しかし現実は帯方郡を出発した時点ですでに意見は多義に分かれるということです。上記の例ですと、グループA・B・Cそれぞれの組み合わせは結構な数になるのですが、これも手加減した数で、実際にはさらに数倍のシナリオが存在します。大河の上流で流れが1メートル変わると下流は何キロ、あるいは何十キロも移動してしまうのと同様に、帯方郡から狗邪韓国までの航海をどう思い描くかで、魏志倭人伝の読み方は大きく変わってしまいす。
 皆さんは複数回答可能でかまいませんので、グループA・B・Cのどこに○を付けてみましょう。どこに○を付けてもそれが正解である可能性がゼロでない以上、思い浮かべる魏志倭人伝の読み方は間違っていないのです。
 ただし、おそらくですがA・B・Cに○を付けた場所が一箇所でも異なる人とでは、邪馬台国の場所はかなり異なる場所になるでしょう。
 さて、皆さんはどこに○を付けたでしょうか?何処に○をつけようが、そこが貴方の邪馬台国の場所の始まりです。次に対馬海流の現実を書いてゆきます。

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